2025年4月に進学・就職した卒業生のメッセージを掲載していきます。
ヤナさん(ウクライナ出身)
本格的な侵攻が始まってからの半年間、私はウクライナで過ごしました。私が学士論文を書き、大学を卒業しようとしていた時に発生したのです。最初の数カ月は授業が全てキャンセルされ、占領地にいる学生や教授と連絡を取ることは不可能で、首都(私の大学がある)はノンストップで爆撃や攻撃を受けました。多くのストレスを含め、必要な薬も手に入らず(ロシア軍は医薬品倉庫を破壊しました)、勉強どころか、日々の生活を維持することさえ非常に困難でした。
とはいえ、修士号を取得することに関しては、家族も本当に協力的で励ましてくれましたし、日本語の予備知識もありました。ですから、たまたまこの機会(日本ウクライナ大学パスウェイズ)を見つけたとき、誰も考え直すことはなく、私はすぐに応募しました。
私も他の人と同じように、言葉だけでなく人との付き合いにも苦労しました。他人の助けなしには日常生活も病院に通うこともできないのは大変なことでした。話し相手やつながりを感じられる人がいないと、孤独で憂鬱になります。
後者については、地域のウクライナ人コミュニティや、PJの学生たちとのコミュニケーションを通じて、何とか対処してきました。ここでの生活を通して、このような人たちは本当に頼りになる存在になりました。ただ、日本語に関しては、大学で日本語の授業を受けていたとはいえ、勉強の中心は日本語ではなかったので(専攻は工学部でした)、今でも時々苦労しています。医者に受診するには十分なレベルになりましたが、公的な書類は絶対に一人では書けません。
私がここで抱えていたもうひとつの問題は、メンタルヘルスの低下でした。ウクライナの学生の多くは、日本に来る前から様々な症状に悩まされており、全く新しい、ペースの速い環境に放り込まれることで、絶対に良くなることはありませんでした。ここでの2年間以上、毎日が6回中1回しかいいことが起きないルーレットのようでした。
どうにか耐えるために、学生コンサルタントに相談したり、専門の医者に行ったり、地元の女性支援NPOに問い合わせたりと、色々なことを試しました。最後の一つが最大の成功でした。NPO法人外国人女性の会パルヨンは、困っているウクライナの女性たちに無料で心理的サポートを提供していました。6ヶ月間セラピーを続けた結果、ようやく気持ちが少し楽になりました。自分の感情や懸念を自分の言葉で表現できるようになると、大きく変わります。
日本での生活は全体的に良かったです。平和な国で、フレンドリーな人々がいて、他人の快適さが深く尊重されていると感じます。もう3年近くここに住んでいるなんて信じられません。
私のキャリアは大学での勉強で決まりました。ウクライナでサイバーセキュリティの学士号を取得し、修士課程でもこの分野の研究を続けました。7年近くを同じ分野に費やした後、この分野でのキャリアを追求するのは唯一論理的で合理的な決断でした。
今のところ私の目標は、自分が幸せになること、そして周りの人を幸せにすることです。プロフェッショナルとして成長し、チームに貢献するとともに、社会の役に立ちたいと思っています。家族にも誇りに思ってもらいたいですし、自分の足で立てることを知ってもらいたいと思います。家族を支えることができるように、また世界をもっと見ることができるように、経済的にもっと安定するつもりです。そして最後になりましたが、私は自分の国がこの恐ろしい戦争やいわゆる「隣国」から解放され、これまで以上に良く再建されるよう、可能な限りのことをしたいと思っています。
カジムさん(シリア出身)

約2年前に日本に来た私は、最初は日本語が話せず苦労したものの、パスウェイズ・ジャパンや支援者、日本語学校の先生の助けを受けながら生活を築き、日本語を学び、アルバイトや就職活動にも取り組んできました。その結果、建築の仕事が決まり、今後は建築業界で経験を積みながら二級建築士の資格取得を目指し、将来的には自分の事務所を持つ夢を描いています。支援してくれたすべての人々に深く感謝しており、このプログラムが今後も困難な状況の人々を支援し続けることを願っています。
シリアを離れてトルコで建築を学んだ後、日本の建築に惹かれて来日しました。日本語学校では、勉強とアルバイトの両立が簡単ではありませんでしたが、良い経験になったと思います。
今は建築事務所で働いていて、日本の職場の雰囲気に少しずつ慣れてきているところです。まだまだ勉強中ですが、一生懸命頑張っています。将来は建築士の資格を取り、自分の事務所を立ち上げて、仕事の幅を広げていきたいです。
