ザカリッヤは難民留学生受け入れプログラムの第2 期生として来日した。生まれ育ったのは、アレッポというシリア北部にある第二の都市だ。その歴史は古く、紀元前数千年にまでさかのぼる。城壁に囲まれた旧市街の中心部には、アレッポ城が佇む。迷路のように入り組んだスーク(市場)には、無数の小さな店が軒を連ねる。町の歴史や文化、そして人々に魅了され、かつては世界中から多くの観光客が訪れ、町は活気にあふれていた。
| 戦火の中、大学を卒業
ザカリッヤがアレッポ大学の薬学部に入学したのは2010年10月。シリア内戦が勃発する前年の秋だ。本来であれば、在学中に製薬会社を見学したり、卒業後の就職先を探したりするのだが、すべてが叶わなかった。
内戦が全土に広がる中、アレッポ市内でも戦闘が始まった。2013年には町がシリア政府軍と反政府勢力で東西に分断された。大学は西側にあり、東アレッポに住んでいた学生は通えなくなった。西側に住んでいた彼は、かろうじて大学に通い続けた。なんとか卒業はしたが、将来の見通しはまったく立たなかった。
ここに自分の将来はない。そう思った彼は、2016年の秋、戦火の中、故郷アレッポを後にし、トルコに逃れた。危険を回避するため、普段は30分で市外に出る道のりを15時間かけて移動した。
| 先が見えないトルコでの避難生活
トルコでの生活も楽ではなかった。初めの3ヶ月は、イスタンブールにいる叔母のところに身を寄せた。その後、友人とアパートを借り、繊維工場や金属加工工場で働いた。薄給だった。業種によっては、賃金がトルコ人の半分になることもある。トルコでのシリア難民受け入れは、あくまで「一時保護」であるため、正式な労働許可を得ることは難しいのだ。将来の展望が見えないため、ヨーロッパに活路を見いだす人も少なくない。
そんな中、ザカリッヤは、日本で勉強する機会をずっと探していた。プログラムを知って、初年度から応募したが、不合格。ヨーロッパでも将来は拓けると思ったが、日本に行きたかった。日本語が好きだった。日本文化が好きだった。この機会を絶対逃さないという強い気持ちで、翌年、2度目の試験に臨み、合格した。
| シリアの未来を想像させてくれた沖縄との出会い
来日して通った日本語学校は、沖縄県那覇市にある。難民留学生受け入れ事業への支援を呼びかけた際、沖縄市民から「ぜひ沖縄で受け入れてほしい。なんとか助けてあげたい」という声が多数届いた。
そんな沖縄社会では人との出会いに恵まれた。ザカリッヤの温和で飾りっ気のない人柄が人を引き寄せたのもあるのだろう。新型コロナウイルスの感染が広がる前は、友人たちに誘われ、カラオケやボーリングに出かけることもあったという。
それでも、当初は言葉がわからず、寂しい思いをした。バイトと勉強の両立も楽ではなかった。
日本語学校に通った2年間で3つのアルバイトを経験した。レストラン、ファストフード、コンビニ。週5日、1日5時間。授業後に働いた。初めは日勤だったが、ほとんどの学生が夜勤だったのを知り、勤務時間を夜11時から朝7時に変えた。
ザカリッヤは、そんな2年間の生活を「全然平気だった」と振り返る。彼の頭には、常にシリアに残された人たちのことがある。
| 故郷を想い「上を向いて歩こう」を歌う
ザカリッヤの両親と兄弟は、今もアレッポに残っている。週に1回、ビデオチャットをして、近況を報告し合う。だが、家族の状況を考えたら、日本での苦労など話せない。
「シリアのことを考えると、不安になります。考えれば考えるほど落ち込みます。自分の力不足も感じます。そういうときは、一人で夜道を散歩して、『上を向いて歩こう』を歌うんです。シリアのことを考えていたら、何も手につきません」
市街戦は終わったが、10年間の内戦がもたらしたものは、荒廃と悲惨でしかない。政治や経済の混乱は続き、人々が安心して暮らせる道筋はいまだ見えていない。
| 希望をくれた沖縄のおじぃの笑顔
沖縄に住み、沖縄戦について多くを学んだ。地元の大学生と一緒に浦添市や読谷村の戦跡を訪問し、語り部のおじぃの話を聞いたこともある。
「沖縄では、みんなが誰かを亡くしていて、過酷な体験をしている。だから、落ち込んでいるのかと思ったけれど、話してくれたのはとても元気なおじいさんでした。笑顔で話してくれたおじいさんを見て、ポジティブな気持ちをもらいました。
破壊されても、いつかは平和になって、公園にはきれいな花が咲いて、戦争を感じないときがくる。状況は変わるって。平和になった沖縄を見ると、シリアもいつかは平和に向かっていくことが想像できるんです」
| 子どもたちには戦争のことなど忘れてほしい
ザカリッヤが心を痛めるのは、子どもたちの将来だ。
「戦火を経験した子どもたちが戦争の厳しさを忘れられるようにしてあげたい。自分は平和の中で成長しました。戦争が始まった時にはすでに若者でした。幼い子どもと違って、戦争の苦しさに耐える力がありました。
戦争の中に生まれ、戦争の中で育った子どもには、何もいい思い出がありません。ただ、恐ろしい生活を強いられてきました。そういう経験を忘れさせてあげたいと思うんです」
そう強く願うようになったザカリッヤには、忘れられない思い出がある。ある避難所で子どもたちに折り紙を教えた時のことだ。
「折り紙を折ってあげただけで、与えてあげられるものは何もない。いいことをしているなんて思っていなかったけれど、子どもたちはすごく喜んでくれたんです。それが心に残っています。子どもたちには、小さなことでも喜べる人であってほしいと願います」
「戦争は記憶して、語り継がれるべき」と言われる。そうあるべきかもしれない。だが、ザカリッヤは、戦争を目撃してしまった子どもたちの立場に寄り添って考える。戦争のことなど、忘れてほしいと。子どもは子どもらしく、生きてほしいと。
| 日本で薬学を学び、故郷の再建に役立ちたい
内戦でシリア人口の半分に当たる1,000万人以上が家を追われ、このうち600万人以上は国外に逃れた。ザカリッヤもその一人だ。
いつかはシリアに戻り、故郷の再建に役立ちたいと、薬学の勉強に励む。日本語学校を卒業し、今は薬局に勤めながら、登録販売者試験に向けて勉強中だ。昨年も受験したが、長い問題文が読み切れなかった。今年は、職場の薬剤師の先輩に、週に1度、Zoom勉強会を開いてもらっている。同じ資格を目指す同僚も一緒だ。今後は、バイオメディカルの専門学校で学び、製薬会社で実験や研究にたずさわりたいと考えている。
勉強は楽しい。特に、漢方に興味がある。「葛根湯」、「麻黄湯」など漢方の名前は難しいが、面白い。複数の生薬を組み合わせて作る漢方のやり方は、シリアにはないらしい。
内戦を経験し、社会のため生きたいという思いが強くなった。今、ザカリッヤは、日本でやるべきことをコツコツと積み上げている。まるで、彼の作る折り紙作品のようだ。どんな形ができるのか、自身もまだ見えていないかもしれない。だが、それは、きっと、子どもたちの心を、恐怖や悲しみではなく、夢と希望で満たしてくれるに違いないだろう。
取材・文/田中 志穂